Yoichi@ロサンゼルス在住物販バイヤー🇺🇸🌎

Yoichi Horikoshiの自己紹介。意志あるところに世界の扉は開く。意志あるところに道は開けるんです!

 
この記事を書いている人 - WRITER -
BUYMAを中心とした物販バイヤー🌎日本一時帰国時アメリカビザ断絶→愛車盗難されカリブ海へ→数百万円借金抱えロサンゼルスに戻りBUYMA起業。BUYMA/物販事業合わせ月商約1000万を達成。現在『意志あるところに世界の扉は開く』を理念にBUYMAプレミアムショッパー/認定講師などとして活動中です!😃 趣味はキックボクシング、音楽大好き。旅も好き。


こんにちは!BUYMAプレミアムショッパー&認定講師のYoichiです!(@YoichiUSABuyer)


名前で呼んで頂けたら嬉しいです!(理由は後々話します!)


アメリカから日本に主にアパレル輸出入ビジネスBUYMAを中心に物販系のビジネスをしています。

2013年に5年間勤務していた会社を辞め、2015年に起業カリフォルニア州ロサンゼルス市に会社を設立しました。


現在の仕事(ライフ)をもう少し詳しく以下

  • アメリカ・カリフォルニア法人代表 (主な事業は物販輸出入ビジネス)
  • ファション通信サイトBUYMA(バイマ)輸出入ビジネス (バイマプレミアムショッパー/バイマ認定講師)
  • ロサンゼルス語学ファッションスクールLYFCO (アメリカ留学事業部執行役員/講師)

他にもBUYMA(バイマ)コンサルティング、物販Amazon/自社サイト/店舗/卸支援代理などをしています。

あと、Toastmasters International (トーストマスターズインタナショナル)のメンバーでもあります。※パブリック・スピーキング、リーダーシップ・スキルの上達を目的とするアメリカ発の国際的非営利教育団体

とにかく色々やっております!

ですが簡単に言うと、

BUYMA(バイマ)などの物販事業を中心に複数の収入源を持ち世界どこにいても仕事ができ稼ぐことがでます。

今は

意志あるところに世界の扉は開く

Live freely and internationally with passion

 (情念ともに自由に国際的に生きよう!)

の理念のもと

自分の意志でいろいろな世界を切り開いて行ける人を増やしたい!

自分の意志で考え行動どんどん新しいことにチャレンジできる人を増やしたい!

個々の意志を尊重し、日本人の自己肯定感を変えたい!高めたい!

などの思いを馳せて活動をしています。

自らの 

「意志を持つ」 (自己決定)で

「行動する」

という事がこれからの超個人または国際的社会において最重要だと強く思っています。


個々の「意志」は無限大の力、可能性を持っている! 

The human possibilities are unlimited! (人間の可能性は無限大だー!) 笑

と話しが飛躍し過ぎてますが、でも本当だと思います!


あ、前書きが長くなってしまった!笑


改めて、

Yoichiです!(2回目かい!!)

生まれ育ちは群馬県高崎市。

去年までアメリカで15年生きて来ました。

コロナの影響で今後はまだ未定(高崎市に待機中)ですが、

理念のもとに世界を飛び回り、また新しい使命を見つけるぞ!と毎日ワクワク生きています。


仕事(ライフ)スタイルは

一言、いや二言で、

「自由!」 

「全部自分で決める!」 

です。

もちろん、自分の直感で、”嫌だなーやりたくないなー”と思ったことは一切やりません。

嫌な上司から何かを命令されることもありません。僕が代表です!


とにかく自由!


コロナさえなければいつどこへでも飛べます!

そしてパソコン1台でインターネットさえ繋がっていればいつでも仕事できます。

世界どこにいても仕事ができます。

”自分の意志で世界を自由に駆け回りながら生きる!そしてまた新しい世界へ!”

それが僕の理想世界です!

趣味はキックボクシング。音楽好き。

好きな食べ物は日本のお米です。


皆んなからは良く(人種国籍関係なしに)、明るい!面白い!

苦笑い系の楽しさがある!(これは日本人のみ)笑


よく情熱的だ!

とかって言われます!


もちろん情熱を人に伝えるのが大好きです!

あ!もちろん旅行好き!


などたくさんありますが、はい、1度置いといて…。

なんかも~~~・・・。

アメリカ留学・海外生活・大学院卒・海外就職・海外起業として来た僕なので人には、


めっちゃ良い人生やん!!!


て思われますが、てか言われますが、


もーもーもーそんな事ない!!!


本気でここまで来るには、

山あり谷ありじゃ済まされない、

たくさん壮絶な経験をして来ました。

ブログで書けないこともたくさん!!泣 


僕は今まで本当に遠回りをたくさんして来ました。


2013年には日本一時帰国時にアメリカビザ断絶

そしてその間に僕の車は盗難されカリブ海へ

その後数百万円のクレジットカードの支払い(俗に言う借金)を抱えながら何もないロサンゼルスに戻る。

(今考えるとアホです!普通だったら諦めて日本に帰国しますね!笑)


などなどたくさん試練を乗り越えて来ました。


そんな状況からどうやって今に至ったか。


今の「自由」を手に入れたか。


今考えるとそこにはいつも自分の


「意志」


を信じて進んで来たからだと思います。

今回自己紹介も兼ね、

僕のストーリーをお話しして行きたいと思っております。

こんな遠回りし過ぎた僕のストーリー少し長くなりますが是非お付き合いいただければ嬉しいです!!!

1. アメリカベンチャー企業に就職!外国人てかアジア人一人。孤立、鬱になる。

さかのぼること2009年夏。


その前に無事何とか大学院を卒業できた僕はアメリカジョージア州サバナ市と言うところにあるアプリや音声ビデオの教材を発信するビジネスを主体とした小さなベンチャー企業に就職することができました。


Sound Design(サウンドデザイン)学科卒の修士号を取得できていた僕はオーディオエンジニアとして雇われました。


人生初めての就職でした!祝  


その時にボスから(彼の名前はBrianブライアンのちに僕の人生の師とも言える存在になる人。)


”日本人は人から言われた事はきっちりできるが、日本人は自分の意志で動かない。” 


”でも、君には期待してるぞ。”



と言われました。



うん?! 何のことや?!



そんな事より当時の僕は、

来月から給料もらえる最高!

この大不景気(リーマンショク後)にアメリカで就職出来たぞ!

俺って凄い!ノリノリでいえーい!

ラッキーと思っていました。


そんなことぐらいしか思っていませんでした。



就職後、

その時の自分なりに頑張りました!一生懸命に働きました。


ですが、

ある日気付くんです!


気づいたんです!!!

速い、、、ミーティング・プロジェクトなど進め方が圧倒的に早い、、、。


大学院の授業も早かったけどベンチャー企業のスピード感は圧倒的に違う、、、。


もともと英語は苦手な僕でしたが、

会社でもアジア人一人。

もちろん外国人一人だったので次第に孤立して行きます。



僕が、


“Yes” 


と一言、言えばそれに対して20個ぐらい向こうの言いたいことが返ってきます。


僕が何か言おうとすると会話を被せてきます。

また20個ぐらい何か言われます。


そしてまた “Yes” と言う、てか “Yes” としか言えなくなる。


この時に僕がかってに思ったのはこれは英語言語の虐待や!



虐待や!!!誰が、俺の孤独の心の叫びを聞いてくれ~~~!



と叫んでましたね。笑


アメリカ人はディスカッションで教育を受けています。

自分から討論するという能力に非常に長けています。

自発的/積極的/能動的な教育です。


日本人はレクチャー(講義)で教育を受けています。

先生が話したことをノートにとってもしわからない事があったら恥ずかしながら手を挙げて聞く。

受け身的な教育です。(少なくとも僕の育った時代。)



大学院時代ディスカッションを鍛えたつもりが、このアメリカベンチャー企業の中で僕の弱さがもろに出ます。


とにかく、

言語の問題から来るスピード感について行けず、

徐々に言われた事しかできなくなって行き、

ブライアンに最初に言われた人から言われた事はきっちやるだけのマシーン従業員になって行きました。


何より、自分の”意志”が持てなくなり自信をすっかり失くしていました。



人って自分の意志=自己決定感を持てないで毎日同じ事してると自信・自己肯定感下がって幸福感落ちるんですよね、、、。



外国人と言うのは言葉の壁もあるし、いろいろ大変だからしょうがないなーと沢山言い訳を作って過ごす毎日でした。



なんとも言えぬ辛さでした。

自分の意志・言葉が伝えられない、伝わらないって本当に辛いですよ、、、!

完全に給料だけもらう給料泥棒の鬱な外国人になってしまっていました。

(ブライアンみんな本当にこの時はごめんなさいでした。)



時に、日本語喋りたくて日本の親に電話しますが、それも月に1度3分程度、時には10秒で切られる事も・・・。



自信を失くし完全に鬱でした。


2. 自らスキルを上げ復活!マネージャーへと昇進!



諦めていたにも関わらず、少し回りを見ると僕の上司だったQuranクワラン君(僕の上司親友になった人です!)はめちゃめちゃ勉強してどんどん自分のスキルを上げて実践しているのに気付きました。



他の周りも皆んな勉強してすぐ実践で活用している。



調査によると日本人って就職したら自ら勉強しないトップランクの国。
アジアで言ったら一位の国らしいです。



社会人になって勉強しない=日本人。


おい!俺じゃん!

しかも英語とか外国人だからとかいろいろと言い訳を作って。



自爆してる感じです。



ブライアンの言葉を思い出します。


”日本人は人から言われた事はきっちりできるが、日本人は自分の意志で動かない” 

”でも、君には期待してるぞ”


なぜブライアンがあの時にそんな事を言ったかと言うとおそらく僕を雇う前に日本人の性格または教育問題などを調べたのでしょうね。


人ってやっぱり頑張りたいんですね成長したいんですね。

人の欲求に自己成長って大きくしめているらしいです。



本質的な幸福は自己成長。


言われた通りのことしかできないマシーンなんて嫌だ!

なにより一人の日本人としても悔しかった。

ブライアンの日本人に対しての価値観を変えたかった。



ある日を境に僕は、

週末の土・日曜日、平日仕事が終わる5時以降、

毎日制作関連のデジタルメディアソフトフェアなどを勉強。

ゾーンに入る感じですね! 



沢山学んでそのスキルを直ぐに会社でのプロジェクトで実践して行きました。


そんなことを一年ぐらい続けたら、

給料もどんどん上がり、

マネージャーにも昇格していました!!!

マネージャーに昇格するとプロジェクトの際に必要な人材を面接して一緒に仕事をするということが出来き自らの手でどんどん外国人を採用増やして行きました。


当時30カ国ぐらいの人達と一緒に何かしらのプロジェクトしていました。


外国人1人だった僕が自らの手で仲間の外国人を増やしすっかり国際色とっても豊かな会社になっていました。



とっても楽しかったです!


3. 葛藤、不安、迷いの日々へ。


そんな充実していた日々を過ごしていた自分ですが、

徐々に何か満たされない感情が湧き上がって行きます。



今している事は本当に自分のしたい事?


100%の力で生きている?


自分って本当に価値のある人間?


何のために存在しているの?



葛藤の日々、その時に大きく体調を崩す出来事も重なり、日々の葛藤は精神を追い詰めるまでになります。



ここはまた僕の暗黒の時代です。


そんな時、

アップル設立者スティーブ・ジョブズ氏のスタンフォード大学におけるスピーチを聞き、頭に電流が走りました。(リンク先 日本語:英語同時字幕)


あの有名な今となっては彼の遺書ともなった伝説のスピーチです。


人生の有限性の話。


人生は他の誰かのものではない。


本意でない人生を生きて時間を無駄にしないこと。


自分の直感に従う勇気を持つこと。



などなど精神を追い詰められていた自分には心の奥まで刺さる言葉だらけでした。


その他にも沢山自己啓発本などを読みあさりました。

その本の1つに、



人は人から言われた事に対して100%の意志を示して決断はできない。


最高でも95%の決断までしかできない。



と書かれていました。

僕は素直に思いました。



自分で意志決定をし100%で生きる人


他人から言われて決断し超頑張り95%で生きる人



たった5%の差だけど、

それが複利の法則(なぜ?!)で

10年経ったらどうなる???

と自分の状況に照らし合わせた瞬間、


ゾーーーーーーと……。寒気が……。



何か恐怖や不安とかでは語られない、今でも覚えている恐ろしい感覚をはっきり覚えています。


また自問自答を繰り返します。


自分の本当にやりたいことは何か?


100%本気で生きているか?


答えは



“No”



でした。ジョブズ氏のスピーチの中でも上の自問自答を説いた時に答えは 

“No”である場合、

何かを変えなければいけないと言っています。



はっきりわかった事は誰かの指示に従っているだけでは100%の力を発揮出来ない。


自分の意志で人生を切り開いて行く必要がある。



ブライアンや会社に依存して生きては行けない。この時から独立を意識するようになりました。

(社長をずーとしていた父や近くにいるブライアン社長の影響も強く影響したと思います。)



4. 変化、決断、そして突然辞職!


何かを変えなければ行けない。


まず日本にいる友人の会社のビクトリアシークレットの香水の買い付けを始めました。



初のバイヤーの仕事をしました!笑



その友人とはロサンゼルスに僕が旅行に行った時に知り合いました。

(その時の夏にCLEA誕生のきっかけとなる、ある学校のロサンゼルスバイヤーツアーと言うものに同行させてもらいました。)



ビクトリアシークレットの買い付けを手伝っているとこれは自分でもできると思い、

手探りでその時になぜかビクトリアシークレットTシャツ専門店を作って見て日本へ販売を試みました。



売れるわけない



他にもいろいろ売るものを変えてサイトを作り変えました。(10サイトぐらい作り変えました。)



売れるわけない



やはり俺ビジネスセンスないだめだと思って居ました。

自分でビジネスやるなんて無理だ。(諦めるの早!笑)


ただ友人の会社のビクトリアシークレットの買い付けを続けていました。

でもその当時漠然とでしたが、

その友人が以前ロサンゼルスに8年住んで居て今もロサンゼルスからの輸入販売で会社をやって居て、

もしロサンゼルスに行ければ僕もこの輸入販売で成功できるのではと思い始めました。



唯一の希望の光のような感じでした。


会社員を続けビクトリアシークレットの買い付けをしながらこの迷走の時代は1年も経ちました。



当時会社は1年ほど前からアメリカジョージア州サバナ市からノースカロライナ州ダーラム市に移って僕も移住して居ました。



そんな中、ノースカロライナ州のDuke Universityで開かれたTedxのスピーチイベントにてブライアンがスピーカーとして参加するので参加しました。


ブライアンのスピーチはもちろん他のスピーチも素晴らしく感動して居て残り2人となった時。



突然、尋常ではないくらい身体を歪に動かして小さな青年が登場しました。



正直ビックリし過ぎて開いた口が塞がりませんでした。



John Broadbentさんと言う方で、

その小さな体を思いっきり動かしながら彼のスピーチが始まりました。

(リンク先英語のみですみません。でも何かがわかります!)



彼のスピーチの内容は、



“障害”に向き合い、一見不可能と思われるような夢を叶えるために全身全霊で立ち向かうことの大切さ” 



を伝えています。



”ぶっ飛びました。”


涙が止まりませんでした。

それと同時に僕の抱えていた全ての



恐怖も”ぶっ飛びました。”


日常生活の些細な悩み、問題と言われている事、人間関係、全てが小さく思えました。



僕が独立そしてロサンゼルスへ行くと決めた瞬間でした。



自分の直感を信じ前進しようと自分の意志で決めた瞬間でした。



実はこの時、前月に会社にビザの更新(3年間もの)をしてもらっていたばかりでしたが翌週ブライアン社長に退社する意志を告げました。

さずがに彼もビックリして彼と5時間以上話しあった後、彼は僕の夢を心から応援すると告げてくれました。



ビザの更新直後だったことから他の働いていた仲間もビックリした様子でしたが、後日ブライアンが社員や大切な仲間達を集めてサプライズでお別れ会を開いてくれました。

真ん中Macyちゃん(ブライアンの娘さん)を抱えているのが僕です。隣ブライアン



感謝です。

感激でした。

また泣きました。



そしてちょっと前まであった恐怖が喜びに変わり、



“ロサンゼルスで絶対に成功する “

と固く決意した瞬間にもなりました。



Ps. 僕の夢の1つにTed.comに参加すると言う夢があります!絶対に叶えます。このTedxのイベントで人生が変わったので今度は僕が他の人の人生を変えられるようなスピーチをしたいです。


5. 夢のロサンゼルスへ向かう!無事生還到着!

あれは忘れもしない2013年6月15日ノースカロライナ州ダーラムを出発し南下、

4年間以上いたジョージア州サバナで1泊、

フロリダ州まで南下、

その後西へアラバマ州で友人の家に1泊、

ルイジアナ州を抜け、

日本の面積の3倍あると言われるテキサス州を周り友人宅に2泊、

ニューメキシコ州で一泊、

アリゾナ州で一泊、



ついにカリフォルニア州ロサンゼルス市に到着しました。


走行距離、約5,500キロ  (えーと、東京から車でアフガニスタンに行く感じの距離です!は?!わからんがな!笑)


しかも二台にも助手席にも荷物ぎっしり隣も後ろも見えなかったわ。


一日19時間も運転した日もあり、手汗で全身麻痺。

カーナビに次右折後、1,000マイル(約1,600キロ=東京から鹿児島の奄美大島ぐらい!少しわかる笑)

直進とも言われ、

引いたーどんだけ真っ直ぐやねん!!!


とにかく砂漠の中、まー直ぐでした。

到着したらタイヤに釘が2つも刺さっていたり、危ない?!笑


でもそんな事は当時の僕にはどうでも良かったらしく、



僕は運転中ずーと熱量マックス!!!



“ロサンゼルスで絶対成功する” 



砂漠の高速道路で



絶対成功してやるぜ!!!!



と叫びまくりでした。

今考えると何も根拠のない自信でした。なーんもなかった!

でも、時には根拠のない自信ってとっても大切だと思います。

だって根拠のない自信って自分発信だからどんな事も想像できる。



”想像する力って本当に大切。”



人って自分で思い想像した通りにしかならないもんね!


みんな人生思い通りにならない!

って愚痴ってる人多いと思いますが、人生は”思い””行動”した通りに必ずなる。



”思い行動した通りになる”



めちゃくちゃ思い行動してましたねこの時5,500キロ !偉い自分!なんか違うか?!笑

だから当時、叫びまくった自分を褒めてあげたいです。

そんなこんだで無事生還、目的地夢のロサンゼルスに到着です!



6. ロサンゼルス最高!からまさかの悪夢へ!


雲一つない晴天、カラッとした気候、やしの木!ビーチ!お洒落な街、夢の中やロサンゼルス!!!



もう最高!!!



まだビジネスの希望も見えぬままだが熱量全開!!マックス!!


そして前会社での活躍が認められ O-Visa (アーティストビザ) ゲット!


俺はロサンゼルスで自分でビジネスやってんじゃ!


ロサンゼルス起業家や!(アホだ、まだ一銭も作ってない。)


O-Visa 保持者やアーティスト天才や!!


そして、30万円払って海外在住者無在庫販売コンサルと言うものにも入りました。



完璧や!!!最高や!!!


て、

もう調子に乗りまくりでテンションは常にマックスハイ!!!


ロサンゼルス到着後、

3カ月後の9月上旬、

そんなマックスハイテンションで弟の結婚式もあるので日本へ一時帰国、イエーイ!!!



アメリカに住んだ事ある人ならわかると思いますが、

ビザスタンプもらうためいつも通り東京のアメリカ大使館へ、



今回も余裕や!だって俺って天才世界一だから!

そんなノリでビザ面接へ、



5秒で終わりだな!って思って面接官のもとへ、それは一生忘れない瞬間になった。



面接官の一言目は、


”私はあなたを知らない、あなたは有名ではない” 

I don’t know you… You are not famous…


So “No” ! 

だからダメだ。


は??!?!?!?!?!?!?



O-Visaとは特別な能力を持った特に有能な技術を持った著名な人アーティストに与えられるビザと定義されているがその定義はかなり広く当時僕の実績でも十分に取れるビザだから大丈夫だと言われていた。(その後わかった事だがその当時日本人のO-Visaは落とせと言う方針だったと噂を聞くが真実はわからない。)


“No” 

“I don’t know you… You are not famous…”



は???!!意味が分からず、いや英語の意味はわかるよ!いや、いや、いや、は??!

だが、

”私はあなたを知らない、あなたは有名ではない” 

何じゃその理由は??!?!??!

鈍器で全身を叩かれたような凄まじい衝撃波が全身を貫く、、、

もうパニックを超絶に超えている。

とにかく必至で通常普通の人は2分で終わる面接だが、

僕は約30分間粘りつずけた。


何を言ったのか全く覚えてないがただただ必至で、、、、、。


その間、何を言ったか覚えてないが、その間、アメリカで過ごした9年間が走馬灯のように蘇っては消えを繰り返していた。



面接は後日、追加書類提出と言う形で終わった。



帰る途中まだパニック状態であったが、なぜ落ちたか色々探して見た。



わかった。



面接官に事前に提出していた書類が28ページしかなく、本来提出するべきである、弁護士が用意してくれていた300ページの書類が抜けていた。


次の日、直ぐに300ページを追加書類として再提出した。


だが、もう遅かった、、、

これを経験した事がある人ならわかると思うが1度断られるとなかなか復活は難しい、、、。(その後、何度も追加の手紙書類を送ったが返事なし。)


これをちまたでは、

名証)

ブラックホール

と言う!

本当です!なぜかと言うと終わりが見えないからです。

暗闇に落とされる感じです。本当に体験した事ある人しかわからないドン底、心底の辛さがあります。

え?!

僕のロサンゼルスにある荷物は?!

僕のロサンゼルスの家は?!

僕のロサンゼルスに止めてある車は?!

てか準備したビジネスは?!

てか人生全てかけてロサンゼルスに到着したんだけど?!

てか人生全てなんですけど?!

え?!

今俺4日分ぐらいのパンツとか着替えしか持って来てないんだけど?!



パニック状態が1、2週間ぐらい続きました。


この時から学んだのは、

何かリスクを取る時にはビジネスでも何でも、



“まず最低の状況をしっかり考え見据え、その後に最高の状況を考える。”



当時の僕はテンションマックスハイで最高の状況しか頭にあらず、しっかりと足元を見据えてなかったからこの事は起きたのだと思います。



この後僕は、

日本に5日間滞在してロサンゼルスに帰るはずだったのに、約7カ月もの間、日本に閉じ込められる事になります。



まさに悪夢です。


7. 日本での闇の時間、また追い討ち、そして絶望の中1つの光を見る。


僕はあの鈍器で叩かれた凄まじい衝撃の中、絶望の淵に立たされていました。



本当に前が見えない中進むのは難しいです。


どこに行って良いかわからない。


日本で何をしたら良いかわからない。



ロサンゼルスでの成功に絶対的な夢を持っていた僕には切り替える事は不可能でした。



唯一の希望は、いつの日かロサンゼルスに戻った時にしっかりとビジネスをできるよう、先月入った海外在住者無在庫販売コンサル内容を実践して、きちんとやる事です。


モチベーションをどのように保って良いかわからぬまま日本でカフェを転々としながら作業します。



その際にあの鈍器の衝撃がいつも襲って来ます。



そんな不安定な精神状態の中、数ヶ月が経ち、また追い討ちに襲われます。


ある日、

いきなりロサンゼルスの家の日本人のルームメイトから電話があって、



”今警察から連絡があって、陽一さんの車が盗難されカリブ海に行ったそうです!” (1回目)



そう、ロサンゼルスに止めてあった僕の車が盗まれてカリブ海に行ったそうです。(2回目)

はあ?!カリブ海??!!(3回目)


(ディズニー公式より引用)



ディズニーランドでカリブの海賊に乗ったことはあるけど、僕の愛車がカリブ海に?!?!


5,500キロ生死を共にした愛車が?!


もう意味がわかりませんでしたが本人がいないと調査が進められないということで何もできず。



カリブ海??!!カリブの海賊?!(4回目)



パニック状態を超えて心底落ち込みました。



ただでさえ無収入の状態が続いていてお金は使うばかりなのにどんどん追い打ちを打たれます。


出口のないブラックホール

そしてどんどん削られて行く財産(お金だけじゃなくて)。


なんとか、唯一の希望の光であった、

海外在住者無在庫販売コンサルの教えの通りサイト作成を進めて販売をして見ました。


マイケルコースバッグ専門店と言う無在庫販売のサイトを作りその年の12月、翌年の1月の間約2ヵ月間で5万円前後のバッグが15個売れました。



その時のみ約売上80万円を達成しました。



売り上げたものの広告費が高く利益はあまりありませんでした。



ですが、売れたと言う事実が唯一の希望の光になっていました。

嬉しかったけどこの光景をロサンゼルスでと強く思っていた僕にはこれをロサンゼルスに戻ってしたらもっともっと売れるぞとしか考えていませんでした。



事実ロサンゼルスに戻ってからBUYMAで最初に爆発的に売れたのがマイケルコースバッグでした。



とにかく夢のロサンゼルス戻りたい!絶対に戻る!!!



と思うだけの日々を過ごしていました。


8. ロサンゼルスに戻る!バイマをしっかり始める!



2013年9月上旬の夏の終わりから秋が来て冬になり春が来た2014年3月下旬、約7カ月後にとうとうロサンゼルスに戻る日が来ました。


O-Visaはブラックホールに行ったままでしたが弁護士と話し合い1度違う方法で再入国を決めました。


今でも覚えているがそれは桜が咲く前。(余談ですが僕は16年間大好きな日本の桜は見れませんでした。)



僕の愛車はカリブ海へ・・・。



もうずーと無収入クレジットカードの支払い(借金)が貯まっています・・・。(数えるのが怖くおそらく数百万円の支払いだったと思います。)



そんな状況の中まだ何も達成してないロサンゼルスに戻りました。



とにかく働くしかなく、

まず無在庫販売のサイトを三つ作りました。


また新たにマイケルコースバッグ専門店

新たにマイケルコース時計専門店

新たにマークジェイコブスバッグ専門店


また売れるだろうと思っていたのですがグーグルに支払う広告費でいきなり10万を請求されました。

広告費が高くいくら売り上げても意味がないと思いました。



お金がない



このころは日系のスーパーで食材を買ってカレーを大量に作り、何個もカレー弁当を作り、朝にカフェに行き一番安い$2のコーヒーを頼み、カフェ内でカレー弁当のお昼、カレー弁当の夕食をして1日過ごすと言うのが日課でした。カフェで自作カレー弁当オープン!さすがの僕でも恥ずかしかったです。笑



お金がない



サイトを作ってもそれにかける広告費もない。



そんな時に広告費がかからない無在庫販売も容認しているファッション通信サイトBUYMA(バイマ)を真剣にやって見ようと決断しました。


以前日本にいる時からアカウントは開けていくつか出品はしていたものマーケティングの部分を依存してはならないと言う理由でほぼ活動はしていませんでした。



ですが、その時はそんな事言っている場合ではなく・・・。



全くお金がないので

バイマは資金ゼロからでも始められ、

しかも登録料、出品料ゼロ。

そして無在庫販売可、

誰にでもパソコン一台あれば始められるプラットフォームです。



当時の僕にはもうバイマしかなかったのです。



一刻も早くお金を作る必要がありました。



バイマでは通常出品してから商品が売れるまで数ヶ月はかかりますが、そんな事僕は知りませんでした。


とにかく街中を駆け回り、

Sureme (シュプリーム)

Michael Kors  (マイケルコース)

Marc Jacobs   (マークジェイコブス)

Kate Spade   (ケートスペイド)

Ron Harman   (ロンハーマン)

などなど、


とにかく出品できるものは全て出品して行きました。


現地調査

出品

現地調査

出品

現地調査

出品


もうこれをやるしかない!!!バイマに全集中を注ぎました。またゾーンに入りました。


9. 加速!成長!躍進!バイマで成功へ!



一言、バイマに助けられました!


真剣にやり始めて直ぐに次の月、

なんと初受注!!!初注文確定!!!


Marc Jacobs の時計が売れました。



バイマの手数料を引いても3,000円以上の利益!!!



覚えております!



ロサンゼルスのメルローズと言うファッション街で買い付けた際に、



どりゃーーーー!!!!!!!



てガッツポーズしました。

小さくても初めて自分のビジネスで力でもぎ取った利益です。(その後、配送を完了する際に配送料を計算したらマイナスでしたが…とにかく嬉しかったのです。)

思い出すと、

ビクトリアシークレット香水の買い付けを手伝い始めてから1年9ヵ月。

手探りでサイト作ったビクトリアシークレットTシャツ専門店(笑) から1年半。



長かった!!!初めて勝利した感じでした



その後はもう怒涛です!突っ走る感じ!



毎日注文入りました。毎月どんどん注文件数が増えて行きました。


この時に引っ越しを決意しました。


ロサンゼルス市ダウンタウンの北側に位置するグレンデール市から、

都会のファッション街のビバリーヒルズ:ウエストハリウッドエリアにある、



都会の中のオアシスと呼ばれているパークラブレアに引っ越しました。


近くに、

ビバリーヒルズにある高級ブティック街ロデオドライブ(Rodeo Drive) 、有名セレブが訪れるビバリーショッピングセンター(Beverly Center)。

ウエストハリウッドにあり古着から最新トレンドまでファッション最先端の通りメルローズ (Melrose street)、Supreme LAなどストリートファッションの聖地フェアファックス(Fairfax Street)。

パークラブレアに隣接するファーマーズマーケットと同じロサンゼルス観光の中心地グローブモール (The Grove Shopping Mall) 

歩いて行ける距離に何でもありました。



パークラブレアには大きなプールが2つありジャグジーもあり、仕事が終わったらジャグジーに入り身体を温めたらプールにジャンプ!


最高でした!


夢のような生活です!



その間も売上げはどんどん伸びて行きます。



そして2015年5月ロサンゼルス市にてカリフォルニア法人を設立。

会社を立てました。



その後、

CLEA (ロサンゼルス語学フアッションスクール) で専任のバイヤー講師を始めました。



その後、

月9時のドラマで某有名女優が僕の出品していたマイケルコースのトートバッグを持った事から、

そのマイケルコースバッグ爆発的に売れ2015年11月売り上げ月商約500万円を達成しました。



翌年その経験を伝えようとロサンゼルス現地でセミナー活動を始めました。


素直に、

“僕を救ってくれたバイマに恩返ししたい。もし僕みたいな境遇の人がいたら教えて救って上げたいと思いました。”


その年の夏、

バイマにその活動などが認められプレミアムショッパー:認定講師に任命されました。



とても嬉しかったです!



その後、ロサンゼルス現地情報誌からの講演依頼などもあり。


いろいろな場所でバイマを教えました。



2017年6月フェアファックス(Fairfax Street)にありグローブモール (The Grove Shopping Mall) の前と言う、

スーパー優良な立地のCo-working Space Spacesにてとっても素敵なお洒落なオフィスを持ちました。



一緒に働いてくれる仲間を増やしました。



楽しかったです!



2019年1月、メインはバイマアカウント2つ他の物販事業も合わせて売り上げ月商1,000万を達成しました。



バイマで始めての注文確定

Marc Jacobs の時計一つから、

ここまで来ました。



一つ言える事は毎日積み上げた結果です。もちろん1日も休んでいません。



CLEAのバイマの授業で毎回しつこく言っていたのが、



Cumulative Effort = 段階的な努力を続ける


1人り1人り能力の差はなく自分のやっている事を好きになり、

(自発的に自分の意志でやっていると好きになります!)


毎日一歩一歩の積み重ね、

ちょっとの努力の積み重ねのみ。



それだけだ~~~!出品しろ~~~!


と毎回言ってました。面倒くさい先生ですね!笑



10. 燃え尽きる…アイデンティティクライシス…。


そんな順調そうな過程でも2018年頃から何か自分の中に違和感を感じていました。


何か燃えるような情熱が湧き上がらない。



5500キロ走って叫びまくったような情熱が湧き上がらない。


一緒に働いてくれるパートナーさん達の手伝いがあって僕の仕事は数時間で終わってしまいます。


売り上げもある。

仲間もいる。

ロサンゼルスでも1等地に住み直ぐ近くに綺麗なオフィスもある。



ある程度の幸福感は感じるものの直ぐに何かもやもやするものが襲いかかります。


夢にまで見た全てのピースがあるのに僕の心の、



”情熱”



だけがなくなってしまったのです。

使命がない状態です。



“自分は何者なのか?何のためにこの世に存在しているのか?きちんと社会の役に立っているのか?”



お金に自由になると次第に何か脱力感みたいなのを感じるようになって行ったんです。



”アイデンティティクライシス” ってやつです。



今考えれば良くわかります。


ロサンゼルスで起業する。

売上げ数字を残す。

一等地に住みオフィスも持つ。

ロサンゼルスで活躍するカッコ良い人になる。



みんなラベルで覆われていて承認欲求から来るものばかりでした。



僕の中に、



理念、強い使命


がなかったんです。

あったはあったのですが薄いもので表面的なものの方がいつも先に来ていました。


とにかく燃え尽きていて何か他のプロジェクトを始めようとしても脱力感で身体が動かず、、、。

僕はこの頃から、

一人でカリフォルニアを旅するようになります。



突然オフィスから出てビーチに向かい無駄に高いホテルに泊まり、

夕日を見ながらランニングをして波の音を聞きながら寝る。



そんな事を月に最低1回はしていたので、ロサンゼルスのビーチ周辺のホテルは、ほぼ全部宿泊した経験があります。

ロサンゼルスのビーチ周辺情報でわからないことがあったら僕に聞いてください。笑



人生で初めてでしたこの感覚は。



何か熱いものが、「情熱」が決定的になくなってしまっていたんです。



11. 帰国を決意!世界を飛び回り使命を見つけよう!



2019年春、僕は帰国を決意しました



”アメリカを出て日本へ行き、その後に世界中を回って真の使命を見つける”

世界といっても僕はアメリカと日本しかほとんど知らない。



いろいろな場所世界を見たい!感じたい!



と思うこどが一番スッキリしたのです。


そうと決まっては、

大忙しでバイマと全ての物販事業の仕組みを僕がロサンゼルスに居なくても出来るようにしました。

あと後悔しないように、

僕は

カリフォルニア州サンフランシスコ市

オレゴン州ポートランド市

ワシントン州シアトル市

学生時代約1年過ごしたニューヨーク州ニューヨーク市へ旅をしました。



後悔が無いか確認のためのアメリカの旅でした。



後悔はありませんでした。


アメリカではなく他の国へ!


見た事のない世界へ!


と心は動いていました。



12. 僕の生まれ育った国、日本!大切な人達家族と過ごす時間そして…。


2019年6月梅雨期真っ最中。



16年ぶりの日本の梅雨!



日本に帰国しました。着いた瞬間、あ、湿気が凄い!って思いました。


乾燥しているロサンゼルスからだから余計に感じたんですね。


帰国後、


大切な人達

家族


と時間を沢山過ごしました。


美味しいご飯を沢山食べたり、

いろいろな所にも行きました。


今まで過ごせなかった大切な時間。



ありがとう!


って感謝の意しかありません。

幸せな時間をありがとう。


人生で今まで感じた事のない幸せを感じました。



今まで身内はアメリカにもちろん一人もいなく大切な人達や家族の側にいられるって本当に幸せだなって思いました。


でも、

それと同時に常に帰国子女としてのジレンマと闘っていました。


日本の環境や習慣、

特に物事に対する考えなどに慣れることができませんでした。


とにかく、

あのカリフォルニア州ロサンゼルスという広大な場所、

ビバリーヒルズ・ウエストハリウッドのあのきらびやかな場所とその中にいたノリノリの人達とギャプがあり過ぎました。


何か小さなぬるま湯につかされて動けなくなる感じでしょうか、、、。


日本と言うか国に守られている感覚。


皆んな同じように生きなさいと社会に監視されている感覚。


何とも沿える事のできない安心感。



何かが違う・・・。


一人の外国人として、

アメリカでは何が起きるかわからなかったので常に警戒をしていてそれに慣れてしまっていたのです。


その警戒状態が戦っている感じがして心地良かったのです。


皆んな平和で日本では戦わなくて良いんだよ。


はい!だから安心して。


と言う感じ!(わかりづらくてすみません。笑)



とにかく僕はまだ戦いたかったのです!



そんな中、日常の些細なことでも相当なストレスを抱えていた僕はいろいろな人に迷惑をかけました。


年が明けて直ぐに家族とも別れ実家を離れました。



13. 帰国子女ジレンマ、激しい葛藤、コロナ禍。


もう一度人生のリセットです。


話は戻りますが幸いにも、

ロサンゼルスを出る前、僕が現地にいなくても、ビジネスが回るようにセッティングしてあったので、バイマ物販事業はじめ、会社の業務はきちんと回っています。



僕は世界のどこに居てもインターネットさえ繋がっていればロサンゼルスに居ても居なくても平気なのです。



世界どこにいても仕事ができます。



バイマにも大感謝です!


問題は帰国子女ジレンマなのです。

もちろん誰も理解してくれる人は周りにはいず悩みます。


特に悩まされたのは、



”日本特有の同調圧力” 



による何とも言えぬ空気感です。



左日本世間 VS   右僕です。以下


皆が右を向いたら右を向け!= 俺は一人でも左向く!左に突き進む!


皆が左を向いたら左を向け!= 俺はもちろん一人で右向く!新しい道が分かるかもじゃん!


皆がしてるんだから!= 皆んながしてないんだから良いじゃん!面白いじゃん!成長できんじゃん!


普通は・・・だよ。= は?!俺普通じゃないよ!ぶっ飛んでますよ!その方が楽しいじゃん!


常識はこうだからこうするべきだよ。= は?!そんなの誰が決めたん?!そんなの視野狭くなるだけやん!


幾つになったら!= そんな基準誰が作ったん?!え?!人生年齢で区切るの?!何で?!


歳なんだから!= え?!年齢関係ないじゃん?!今が最高でしょ!?いつになっても成長するしょ!


皆んな同じ協調性を重んじる社会。

小さく出る杭はすぐ叩き落とされる空気感。

皆んなと同じは安心と言う停滞感。

この社会には同調圧力がある。



“この国には個々の意志はあるのか?!”



てか個々の意志の潰し合いじゃん!
このように日本での居ずらさを感じます。



良い意味で全て自己責任の自由大国アメリカから帰国した僕だから激しく感じるのです。



他にもたくさん小さな事を上げたら切りがないくらい日常に帰国子女の悩みは潜んでいるのです。



小さな物や事から大きな物や事まで・・・。


帰国子女ジレンマから来る葛藤ストレスは相当な物です。

僕が断言します。


今も、

もし日本の何処かに僕と同じ様な帰国子女ジレンマに襲われいる人がいたら少しでも助けてあげたいと思っています。



絶対に他にも悩んでる人が何処かにいる。



できたら僕が話しを聞いて上げたい・・・。



そんな葛藤を抱え日々を過ごしている中で、

僕は、

”アメリカを出て日本へ行き、その後に世界中を回って真の使命を見つける”


を思い出しました。おい!そうだろ!そのために帰国したんだろ!

(何かの事で激しく悩むと他のことや周りが見えなくなるのが僕です・・・。)



そうだ、アメリカ以外の国を見るんだった!!!


まずタイ国に行こう!

何より東南アジアに行きたっかたと言うのと、

発展してるバンコクに知り合いの友人もいるし、

キックボクシングムエイタイも見たい!

タイでも仕事できるか試したい!



そう思っていた矢先、



ドーン!!!!!!!!




そんな中、2020年3月に、地球上の誰もが理解不能な新型コロナウィルスのパンデミックで各国閉鎖状態に、、、。


日本から出れなくなりました。



本気泣・・・。




14. とことん悩み落ち込む事から使命に気付く!熱い想いが込み上げる!これからへ!


何処にも日本の外へ行くことはできなくなりとことん落ち込み悩み続け毎日午後にはひたすら街を歩く。



悩み僕は街をたくさん歩きました。



2020年初春4月。



”桜”



桜の季節です。


16年ぶりの日本の桜です。


日本の桜って本当に息を飲む程美しい!

しかも何かが始まるって感じ!希望の光って感じするな~なんて思っていました。


悩む日々、

紙にもたくさん書きあさります。



そしてまた街を歩く。



孤独を極めました。




ですがそんな時に、


6月、7月、コロナの影響もあって延期されていたCLEAの授業がオンラインに移行してオンラインですが久しぶりに授業をしました。



やっぱり楽しい!!!



オンライン授業ですが、終わった後は胸が熱くなります。



やっぱり人に自分の知識・経験・スキルを教えたり情熱を伝えるの好きやねん!!!


特に、

自立したい!

物販ビジネスやって見たい!

バイヤーにバイマに興味がある!

留学に興味がある!

ロサンゼルス・アメリカが好き!

世界いろいろなところに行って見たい!



などなど何か自分と少しでも共通または共感できるものを持っている人と話すと胸が熱くなる。



コロナ禍の時代だからこそロサンゼルスでたくさんの人に教えてたこと日本にいても世界どこにいてもできる!!!


また、

僕を助けてくれたバイマを教えられる。



情熱を伝えることができる。

そんな熱い思いがまた沸々と湧きあがります。



それでもまた悩み、(長い!アホや!)


俺の使命は何だ?!


そしてまた街を歩く。(どんだけ歩くんや!アホ!)



日本に居るといろいろなことがわかってきます。



かくして、

日本に居ていろいろな人と出会ったり話したりすると僕はとってもレアキャラらしく、

愛車が盗まれてカリブ海に行ったことのある人はなかなか居ないらしい。笑(これは冗談です。)


ロサンゼルスにいた頃は普通だと思っていたけど、

どうやら僕はレアキャラらしい。珍しい人らしい。



“レア” 



と言うことは、

僕の経験して来たことは非常に価値があるのではないか?!?!



もし価値があるならその経験を人に伝えたい。



”僕の経験は貴重である。後世に残したい。” (ちょっと大げさ!笑)



その経験を人に伝えるために今までいろいろ経験して来たんだ。こんなに遠回りまでして。


僕の人生を変えたあのスティーブ・ジョブズ氏のスピーチでもある通り、

今ままでの点と点は繋がります。



人生の経験全てが点と点で繋がりあって線になる感じです。



遠回りして来た自分の人生が自分の中でどんどん肯定されて行きます。


そんなある日、

僕の好きなビジネス系ユーチューバーが興味のある統計調査の話しをします。



世界先進国7カ国日本も含む若者に、



”自分に満足していますか?”



と問いたところ、

日本は断トツで最下位の10%のみの若者が、”そう思う” と答えたらしい。



逆にトップはアメリカの60%。



と言う事は日本で街で歩いているほとんどの9割の若者は自分に満足してないと言うことになる。



日本の若者の幸福度・自己肯定感って著しく低いんですね。



アメリカでは自己肯定感マックスハイの強者ばかりでした。



それは日本人は圧倒的に自己肯定感が低いことから来る自己決定が出来ないからと言う事です。


つまり、

自分で決めているって言う感覚・自分の意志が持てないからと言う事です。


おい!!!!

11年前にブライアンから言われた言葉、



”日本人は自分の意志で動かない” 



強烈に思い出します。



調べると他にも世界先進国7カ国日本も含む若者に、



”あなたは、将来留学したいと思いますか?”


と問いたところ、

また日本は断トツで最下位の5%のみの若者が、”はい!留学してみたい” と答えたらしい。



変化・多様性が求められる今現在これはやばいっと率直に思いました。



自己肯定感が低いと海外に行くと言う意志もなくなるのかと思いました。



その後素直に、

僕が変えたい!!!

僕が少しでも変えたい!!!

1人でも良いから変えたい!!!


ブライアンの言っていた日本人への価値観を変えたい・・・。


僕が出来ることは少なくとも、

手段の1つ1つとして、バイマ(物販ビジネス)や経験からの英語やマインドセットなどを発信して行くことで日本人を変えて行けるのでは?!

と胸が熱くなるの感じます。



そう想い始めると次々に、


こんな時だからこそ、

僕の経験をそしてこれからを情報発信して見たい!

僕が生きた証も残したい!


僕の経験や知識の情報を発信することにより、
誰かの人生をより良いものに変える事が出来たら、
どれだけ素晴らしいだろう・・・。


もし一人でも僕に共感してくれる人が現れて、
そんな仲間と世界中を飛び回ることができたら、
どれだけ楽しいだろう。



共感できる仲間が欲しい!!!



そして何より共感できる仲間がいるなら一緒に成長して行きたい・・・!!!


日本でうずくまっている人がいたら僕が助けてあげたい・・・。

僕の経験や知識で人を助けることができるのではないか・・・!?



いろいろな想いが飛び交い胸が熱くなります。



特に同調圧力の強い日本


同調圧力によって毎日、

個人の大切な



「意志」



が埋もれて消えていくならそれを変えたい!!!


勇気を与え、

意志のある人を増やしたい!

どんどんチャレンジできる人を増やしたい!


と心の底で思いました。



それが僕の今できる一番の使命だと思います。



そんな使命のもとこのブログを書き情報発信を始めました

このようにたった今、

僕も自分の意志で情報発信を始め、

どんどん新しい扉を開けて行きたいと思っています。


意志あるところに世界の扉は開く

Live freely and internationally with passion


僕はまだまだ未熟です。まだまだ模索状態です。

信じられないと思いますが、
僕がパソコンで日本語をタイピングする早さは、
本当に赤ちゃん並みです。
笑(とにかく遅いと言うこと!)

おそらく、他のライターさんより10倍、20倍遅いです。


ですが、

そんな僕でも僕の経験や知識を発信して行き人々の、


個々の大切な



「意志」



を震えあがらせ行動することに導けて行けたらと思っております。


最後に、



強い意志、情熱を胸に生きよう!扉は開く!

最後まで読んで頂き本当にありがとう御座いました。


Good luck!
Sincerely

Yoichiより


Have a wonderful day!


お勧め関連記事は “BUYMAアメリカ買い付けまとめ6選プレミアムショッパーになれた方法” です!

この記事を書いている人 - WRITER -
BUYMAを中心とした物販バイヤー🌎日本一時帰国時アメリカビザ断絶→愛車盗難されカリブ海へ→数百万円借金抱えロサンゼルスに戻りBUYMA起業。BUYMA/物販事業合わせ月商約1000万を達成。現在『意志あるところに世界の扉は開く』を理念にBUYMAプレミアムショッパー/認定講師などとして活動中です!😃 趣味はキックボクシング、音楽大好き。旅も好き。

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Copyright© Yoichi Horikoshiのブログ , 2020 All Rights Reserved.